外国人から京都はチャイナタウンだと思われている件について

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世界の旅行先ベスト10として京都が毎年ランクインしている旅行雑誌「トラベルアンドレジャー」で、紀行作家のピコ・アイヤー氏が日本に関する記事を書かれていました。

ピコ・アイヤーはTEDでも有名らしく、下記で紹介されるくらい有名な方です。「最も訪れたい場所は?」という問いに対して「どこにも行かないこと」なんていう逆説を唱えたりしてるようです。


さて、今回取り上げる記事には、主に奈良に関することが書かれています。このブログは京都に関するブログですが、ここで取り上げたのには理由があります。実は記事の最後の方で、京都は「チャイナタウン」と表現されているんです。

「旅慣れている人であっても、所詮は中国と日本の区別もつかないのか?」とツッコミたくなるところですが、きっとこの人のことだから意味があって言っているに違いありません。

忙しいあなたのために、該当箇所だけ抜粋しておきます。

you’ll understand why parts of Kyoto are now nicknamed “Chinatown” (almost all the young women in kimonos in the streets are in fact excited tourists)

(普段は着物なんて着ない)若い女性のほとんど(実は観光客)が、京都だから特別と言って(レンタル)着物を着て歩いている姿を見て、それが中国の様だ、と言うことでしょうか。

おそらく、中華街のようだという意味ではなく、まさしく東洋っぽいというニュアンスでしょうか。もしかすると、奈良と比べると雑然としていて大衆迎合的=中国?だ、という意味合いも含まれているかもしれませんが。

京都という街は実は純和風ではなく、中世あたりの中国文化の影響を物凄く受けていて、西洋人からして見たら「京都はチャイナタウン」という表現は、実は本質を捉えているんじゃないかとも思います。高層ビルが立ち並ぶ上海や北京の街並みは、彼らにとってのChinaやOrientalというイメージとはかけ離れているのでしょう。

 

古くから都であったことで大陸の新しい文化を浴び続けてきた結果、京都はショーケースのようにして出来上がってきた街でありコスプレ感覚で着物を着て歩く人が増えることは必然なのかもしれない、と思えてもきます。

 

中国人が、自国からは失われてしまった中国文化の面影を求めて日本に来ているという話もありますし、京都は中国以上に中国っぽい景観や風土を残していると認識されているのかもしれません。(この写真はどこの街だと思いますかアンケートしてみたら面白いかも)

 

市民の生活は見世物では無い、市民生活との調和が大事!という世論が高まりつつありますが、ショーケースのなかで生きているんだという自覚や寛容さみたいなものを持って過ごしたほうが、京都という街の面白さに浸れるんじゃないかと思う今日このごろ。

 

アジアのことをよく知らない外国人にとっては、中国っぽい街、京都。
日本のことを知りすぎている外国人にとっても、中国っぽい街、京都。
良くも悪くも、中国っぽい。それは多分、京都も中華思想だから。