研究と経営の狭間で

どれだけデータの出典や前提条件を明示して,統計的な有意性の有無や,予測なのか目標設定なのかを説明したとしても,データが目に入ってくると自分の持論を補強するためだけにしか解釈しようとしない人はどうしても現れるようです.

そういうタイプの人ほど,そうやって自己主張を続けることで他者を巻き込み,ビジネスの世界で成功してきたような人だったりするので,周囲への影響力も強く,偏った解釈が独り歩きしてしまうんじゃないかと感じます.

仮に自分の業界のサービス満足度が低いからと行って,自社の事業の満足度が低いことを意味しているわけではないし,サービス内容に自信があるならそれを業界全体に広めて底上げしていこうと考えてもらえるように,伝え方を工夫していかないと危ういなとも思いました.

ビジネスに役立ててもらうために,マーケティングデータを提供していくことが地域のためになると信じてやってきましたが,「データ活用の知識がそもそも無い」というのとは異なる方向でリテラシーの問題が発生しうる,というのは盲点でした.それだけ,関心の高いテーマであるということは悪いことではないんですけどね.

でも,こんなことで足踏みをしないといけないような地域からは,本当に必要なアイデアが生まれてくるのに物凄く時間がかかってしまうので,自分たちの実力で地域振興ができているという段階へはたどり着けないんじゃないかな,と心配になってしまいます.実際,話題になっているような地域は,足りないところを受け入れて,前向きにできることから取り組んでいるんじゃないかと思います.

アカデミックの世界であれば,より良い方法の提案や,なんで意見が合わないのかの理由を突き止めようという方向に議論が進むのですが,そうはならず論破することが目的になってしまいがちなのをどのようにコントロールするかが,研究と経営の狭間に立たされる立場の難しさなのかもしれません(それが高尚なことだとは思えないのが残念なところ・・・)

デービッド・アトキンソンが出した数字と,そのへんのコンサルタントが弾いた数字とでは,同じ手法,同じ結果であっても受け止められ方が違ってしまうのは,しょうがないことなんでしょうかね.まぁ,ぐうの音も出ないほどの理論と,ものすごく分かりやすい解説をするだけの実力をつければいいじゃない,と言われればそれまでなので,自分の未熟さを受け入れなければならないですね.

とはいえ,拙いデータからでもなんとか真実を見出して,事業の成功確率を上げていこうと前向きに考えてくれる人のほうが多数派だと信じているので,その期待に沿えるように地道な発信は続けていきたいと思います.